地衣類による森林土壌の窒素地力の増強 渡辺 篤 [ライケン4(1): 1-2, 1978]

10数年前朝比奈泰彦先生から地衣を構成している共生藻の大部分は緑藻で,藍藻は全種類の10数%を占めているに過ぎないと伺った。全藍藻1000余種の うち窒素固定の能力のあるものは40余種なので,地衣を構成している共生藍藻のうちに固定能のあるものが存在するかどうかということは,地衣が地球に於け る窒素循環にどの程度関与しているかという問題に深い関係がある。
筆者は森林地帯に於ける窒素固定藍藻の分布を調査する目的で北海道苫小牧附近の天然林で地衣類の採集を行った。その際樹下の地表に生育する「ツメゴケ」(Peltigera)及び「キノリ」(Leptogium)を採集することができた。これらの地衣のうち「ツメゴケ」類は共生藻として窒素固定藍藻Nostoc punctiformeを含んでいることが知られているので,この機会に共生藍藻と窒素固定との関係について述べようと思う。
この問題について最初に報告したのはスエーデン大学のHenriksson(1951)で,彼女は地衣Collema tenaxから無菌的に分離した共生藍藻Nostocに窒素固定能のあることを証明した。その後 Bond&Scott(1955)は地衣C. granosum及びLeptogium lichenoidesの葉状体を15Nガスを含む混合気中に数日置いた後,葉状体中の15Nの量を質量分析器で測定した。その結果この両地衣に15Nの固定が認められたので,各々の葉状体中に含まれる共生藍藻Nostocは窒素固定能を有すると結論した。
その後筆者(1963)は地衣から窒素固定能の強い藍藻を得る目的で「ツメゴケ」類から藍藻を分離した。分離法は地衣を0.1%の昇汞水で洗った後,さ らに滅菌水で良く洗い,滅菌したカミソリで藍藻の生育している部分を無菌的にとり,無窒素培養液に移植して予備培養を行った。この培養から更に藍藻を稀釈 法で分離した。分離に用いた地衣はPeltigera polydactyla(産地:金沢),P. pruinosa(仙台)及びP. virescens(有馬)で,得られた藍藻は50ml内容のエレンマイヤーフラスコ中の30mlの無窒素培養液に移植し,15Nを含んだ気中(ガス組成:N2 24% excess 15N)5%,Ar70%,O2 20%、CO2 5%)に入れ,恒温室中で光照射の下で2ヶ月間培養した。繁殖した藻体は培養液と共に乾かして,その中に含まれる15Nを質量分析器で分析した。その結果藻体の15N含量はP. polydactylaの共生藍藻N. punctiformeでは14.2 atom per cent,P. pruinosaでは12.5 atom per cent,P. virescensでは9.7 atom per centであった。この結果から「ツメゴケ」類に含まれる藍藻は窒素固定能を有し,従って「ツメゴケ」類には窒素固定能のあることが推察された。そこで地衣そのものに窒素固定能のあることを証明する目的で,10gの地衣をとり,これを15Nを含んだ気中に入れ,藍藻と同じ処理を行った。その結果P. polydactylaでは0.05 atom per cent,P. pruinosaでは0.01 atom per centの15Nを固定することが明らかになった。
北海道の苫小牧附近の天然林は針葉樹として「トドマツ」,「エゾマツ」,広葉樹として「コナラ」,「ハルニレ」,「ホウノキ」等から構成されていた。採集した地衣は21種であったが,そのうち藍藻を共生藻とする地衣は,P. degeniiP. polydactyla及びL. cyanescensの3種であった。採集地衣の種類と共生藻は第1表に示す如くである。
前述の如くP. polydactylaの共生藍藻N. punctiformeには窒素固定能があるので,この地衣の生 育している地表の土壌中には,この地衣の古い部分が枯死分解する際に分散した共生藻が住みついている可能性がある。この点を明らかにするため,この地衣の 着生している附近の土壌を採集して固定藍藻の分離実験を行った。その結果「ツメゴケ」の共生藍藻と同じN. punctiformeの存在を確めることができた。
地衣の共生藻が藍藻である場合は全地衣の10数%であり,共生藍藻が窒素固定能を有する場合はさらにその数%であろうと推定されるので,全地衣のうち窒 素固定能のある共生藍藻を有する地衣の種類は非常に少いと想像される。然し森林地帯は地球上の全陸地面積の大半を占めて居り,さらに高山に於ける地衣帯, 極地のツンドラ帯等も考慮に入れると,地衣類による窒素固定は,地球における窒素循環に可なり大きく関係していると考えられる。