地衣類染色法 寺村祐子  [ライケン5(1): 2-4, 1982]

あのほとんど無彩色に近い灰白色や淡緑色の地衣類から,驚くほど鮮やかな紫紅色,深紅色や茶色を染めることができます(図1)。染め方は比較的易しく美しい色が楽しめますので,代表的な染色法を,ご紹介します。
地衣による染色は,日本ではまだあまり知られていませんが,ヨーロッパ各地の地衣染色の歴史は遠く古代にはじまると伝えられており,植物染料の代表的な ものの一つとされています。古代フェニキア人は,最も高貴な身分を象徴する紫色の王衣や聖職者の衣服を染めるために貝紫(Tyrian purple チリアン・パ-プル -巻貝から染めた)を用いたことは有名ですが,その貝染には少しの布を染めるにも膨大な量の巻貝を必要としたので,下染めとして地衣による紫が利用され, やがて12世紀以降,貝染の染色技術が消滅した後は,地衣による紫色だけが高貴な位の象徴として用いられたといわれています。しかし現在では,この地衣の 染色技術は他の植物染料と同様,一般にはほとんど行なわれなくなり,ごく限られた特殊な地域でのみわずかに見られるにすぎない状態です。
ここで私が地衣染色の研究を始めた経緯について一寸触れておきたいと思います。昨今,一般の人たちの間にも植物染料への関心が高まってきました。日本は 絹の染色に関しては伝統も古く資料も豊富なのですが,絹より今ではもっと身近な日常的素材となっているウール(羊毛)の植物による染色法はまだよく知られ ておらず,資料が必要になったので,研究を始めたのです。私が教科書として用いたE・M・メレー(英)の「Vegetable Dyes」は今日では植物染料染色法のバイブル的な存在ですが,その本には当然のことながらおびただしい植物の種類が登場します。勿論,地衣類も含めて。 私の研究は日本で採集できる植物を対象として実験を行ったものですが,地衣については知識がないので,果して日本に生育している地衣類で染めることができ るかどうか見当もつかず,その分野だけ空白になっていました。このような状態の時に,地衣類の御専門の黒川逍先生が御自身も地衣染めのご研究をされ知識と 関心をお持ちであることを知って,御多忙な黒川先生にお願いし,採集の御協力と染色法の御指導を賜ることができたのは何より幸いなことでした。おかげで現 在は主にウメノキゴケ(Parmotrema tinctorum)マツゲゴケ(Rimelia clavulifera)のほか,イワタケ(Umbilicaria esculenta),カラクサゴケ(Parmelia squarrosa),ヨコワサルオガセ(Usnea diffracta)ニクイボゴケの一種(Ochrolechia sp.)等を対象に染色実験を行ない,その結果,次々に色見本が増えてゆくのはとても楽しみなことです。実際に地衣の染色を始めてみて苦労することの一つ は,地衣類の見分け方の難しいことで「地衣植物図鑑」を片手に絶望感にとらわれています。又,残念ながら地衣は東京では余り見られないようで,その上染色 には少しまとまった量が必要なことも悩みのタネです。地衣類研究会の「観察会」は滅多にない機会なのですが「多くの種類を少量づつ採集することは易しいが あなたのように同種類のものを多量にというのが最も困るよ」と黒川先生にはいつも溜息をつかれています。それでも一般に生育のとても遅いといわれる地衣で すから,必要以上に採集することはしないように心がけています。
ここに御紹介する染色法は黒川先生の「地衣染め」(自然科学と樽物館vol.37)とメレーの「Vegetable Dyes」を参考にして私が実験している方法の中から記してみました。
地衣染色法には大別して,茶系統の色合いを得るための“煮沸法”と,赤,紫系の色の得られる“アンモニア発酵法”の二つがあります。単に煮沸するだけで 得られる美しい茶色は,独特の芳香があり,きわめて耐光堅牢度のよい優秀な染料といえます。一方“アンモニア発酵”で得られる赤紫は茶色ほど堅牢ではない ようです。この方法に用いるアンモニアは,ヨーロッパの伝統的な染法では腐らせた尿を利用していますが,現在では市販のアンモニアを用います。例外はあり ますが一般的に地衣も含めて,植物染料はウール,絹にはよく染着します。初めて染色を行う方は,染色法と注意を読んでから始めてください。材料の必要量は 毛糸100gに対する分量になっています。染める毛糸の目方に応じて地衣や薬品の量は適宜増減します。ちなみに毛糸必要量は標準の編物婦人物セーターで 250g~400g(合太毛糸)。ベストは200g前後でできます。


図1.美しい地衣染めの作品
 
図2.染色実験中の風景

染 色 法

1.茶色を染める(毛糸100gに対して)
材料-毛糸(白色)100g(注1),マツゲゴケ30g(濃色は50%,淡色は10%でよい。-注2),中性洗剤2g
用具
①染色用容器1個,500cc入るもの(ホーローかステンレス製のボールか洗面器,鍋など…図2参照 -注3)
②30cm位の丸棒1本(竹か木)③廃品のナイロンストッキング。(コケを入れる袋に利用する)
染め方=煮沸法
①市販の毛糸はムラなく染めるために油ぬきをする。約40℃の温湯3l(毛糸の目方の30倍)に中性洗剤2gをよく溶かす。その液に毛糸を約20分浸し揉まずに軽く押し洗い。2~3回軽くゆすぎ脱水する。
②マツゲゴケはゴミ,樹皮などを丁寧に除去する。ストッキングで作った袋2つにコケを分けて入れる。
③染色容器にコケの1つを入れ,その上に毛糸を置き,又,上からコケをのせる。毛糸の目方の30倍の水を注ぎ,コケと毛糸が水に浸るようにする。
④弱火でゆっくり加熱し20~30分くらい時間をかけて沸点まで温度を上げる。ムラにならないように時々棒を使って軽く毛糸を動かしながら約2時間煮沸す る。これで美しい茶色が染め上る。煮沸時間が長いほど茶色は濃色になる。染液に少量の氷酢酸を加えると染着がよいと云われているが,酢酸は添加しなくても 十分堅牢に染まる。尚,煮沸によって液量が減った時は,焦げつくことがあるので,時々水を加える。
⑤2~6時間煮沸して染め上ったら火を止めそのまま放冷し,ぬるま湯で3~4回ゆすぐ。
⑥脱水し竿に通して日蔭に干す。
⑦残った染液は捨てずに再び必要量まで水を加え,新しい糸を入れて煮ると,1回目より明るい淡茶色が得られる。

 

2.赤,紫を染める(毛糸100gに対して)
材料 - 毛糸(白)100g,ウメノキゴケ50g(濃色30~50%,淡色10%・・・ 注5),アンモニア170cc,水340cc,過酸化水素水約25cc,中性洗剤2g
用具
①コケ発酵用の容器600cc入り1個(中がよく見えるためガラスびんがよい)
②撹拌のための薬さじ1本
③染色容器1個(注3)
④染色用丸棒1本。
染め方=アンモニア法
染液の作り方
①乾燥したウメノキゴケは丁寧にゴミ,樹皮等を取除き,細かくする。ミキサーで粉末にすると扱いよい。
②市販のアンモニアを水で3倍にうすめアンモニア水を作る。アンモニア水はコケ10gに対し100cc(コケ50gで500ccのアンモニア水が要る)。 粉末のコケにアンモニア水を少しづつ撹拌しながら注ぐ。このまま1~2日で液は赤紫色になってくる。毎日数回撹拌し,室温で10~30日保つと染液ができ あがる(注6)。急ぐ場合は酸化発酵を早めるため過酸化水素水(コケ10gに対し5cc)を加える。染液がアンモニアの揮発によって減ってきたら水を加えもとの液量にする。●染色の手順
①毛糸の油ぬきを行う(煮沸法①と同じ)
②染色容器に,発酵して得た赤い染液を必要量入れ,毛糸の目方の30倍の液量になるように水を加える。
③弱火でゆっくり30~40℃まで温め,毛糸を繰り入れる。20~30分位時間をかけて沸点まで温度を上げ,30~40分煮沸する。これで鮮やかな青味のある深紅色が染まる。煮沸時間が4時間から6時間と長くなるほど濃色になり赤褐色に変化してくる。
④火を止め放冷する。3~4回ぬるま湯で洗い軽く脱水し,蔭干しをする(注4)。
※もし,もっと青味の紫紅色がほしい場合は1~4cc/lのアンモニア水に約5分間浸ける。逆に青味のない赤を得るには,1~2cc/lの氷酢酸の液に浸す。ゆすいで乾かす。
⑤残った染液は適量の水を加え,あと2~3回は染色に使用できる。一回ごとに淡色になるが美しいピンクが得られる。
⑥染色した糸は薬品を使って媒染すると次のような色の変化が楽しめる。

硫酸第一鉄 3% 20分煮沸 黒ずんだえんじ色
重クロム酸カリ 1% 30分煮沸 やや青味を増す
塩化第一錫 4% 20分煮沸 鮮やかな深紅色
硫酸銅 4% 20分煮沸 鮮やかな深紅色

注1)毛糸は輪になったかせ状のものを用いる。
注2)茶色はマツゲゴケが最もよく染着するが,ベージュなど淡色はウメノキゴケ,イワタケなど多くの種類から得られる。
注3)ホーロー容器は表面のガラス質の傷んでいないもの。叉,ステンレス以外の金属は色を濁らせる原因になるので避ける。
注4)毛糸は濡れている時手荒く扱うと,傷みやすく,フェルト化しやすい。又,熱いうちに冷水につけないこと。
注5)ウメノキゴケは最も効率よく紫紅色が得やすい。他にイワタケ,ニクイボゴケからも淡紅色が得られる。
注6)羊毛はアルカリに弱く傷みやすいので発酵用のアンモニアが十分揮発してから用いること。

では地衣染めをお楽しみ下さい!!