和名のない種の事情とは?

大村嘉人(2021) ライケン21: 41-42.

 日本産地衣類約1,800種のうち,3割以上の種には和名がない.初心者の方の中には「学名は覚えられないから,そういう種には和名を付けて欲しい」と思う方もいらっしゃることだろう.しかし,和名のない種には,それぞれ異なる事情があり,むしろ和名を与えないほうが良い場合もある.例えば,名付けた人が専門的背景をよく理解していない分類群(実体が不明な種や多系統群など)に付けた和名が混乱を生じさせているような場合である.非公式の私的な命名であったものがインターネット上に現れると,それらが正しい名前だと信じてしまう人も少なくないため,さらに混乱を引き起こすという状況にもなっている.このような問題は地衣類に限らず,菌類や植物などでも起こっているという話を聞く.結論から言うと,和名には命名のルールはないものの,命名や変更は慎重に行うべきであり,どうしても命名した方が良いという場合には,少なくとも分類群についての研究背景や事情を知っておくことが前提として必要であろう.
 なぜ和名のない種が存在するのか?分類学者にとっては「それは必要ないからである」と,ある意味当たり前すぎて解説されることがあまりなかったのではないかと想像する(少なくとも私はそのような解説文を知らない).そこで本稿では,「和名のない種の事情」について,以下の通り思いつく範囲でカテゴリーを分けてみた.
1.分類学者に必要ない.
 分類学者にとって,生物の名前は基本的に学名で十分である.分類群を体系的に記憶するためにも学名の方が都合が良く,研究上で和名を用いることは地衣類分類学者の間ではあまりない.そのため,新種や新産種の発表の際に和名を付けないことが少なくない.その際,もし和名を付けていたとしたらサービス精神からであろう.外国雑誌に発表する論文だと,なおさら和名を書かないことが多いが,ローマ字で記して発表しているものを稀に見かける.
2.国外の分類学的研究によって日本産既知種が複数種になったり他種の異名になったりして和名が考慮されなかった.
 分類学的研究は世界で報告されている種を対象に行われるため,日本から報告されていた種が複数種に分割されていたり,他の種の異名になったり,日本産種が誤同定であったなどの研究結果が出されていることがある.実物は確認していないが少なくとも文献からはそれらの研究結果を拾ってチェックリストに反映させるが,和名までは考慮されなかった場合は和名なしとなる(「1」の意味合いに近いが,他人が行った研究だとなおさら放置されやすくなる).
3.古い時代に発表された実体不明種.
 明治時代以前の古い時代に海外研究者が日本産種について発表したが,記載文が曖昧で,その後の証拠標本の再検討もされていないため,実体がよく分からない種には,和名が付いていないことが多い.
4.公的でない和名をチェックリストに掲載しない場合.
 私的な出版物や記録の中で和名が仮に付けられているものや地方名は非公式なものとして扱われている.ちなみに,地衣類でも地方名は存在しており【例:バンジャム(=バンダイキノリ),イワガシャー,タケキノコ,イワナバ(=イワタケ),アイヌ語での呼称(ニ・レㇰ=ヨコワサルオガセ)など】,筆者が把握していないもの中にはチェックリスト上では学名だけで和名がない種もあるかもしれない.
5.単なる見落とし.
 和名が学術雑誌や行政団体,研究機関の公的資料として発表されているにもかかわらず,チェックリスト作成時に単に見落とされている場合.
 以上,和名がない種の事情について理由を挙げてみたが,必要が生じているものについては適切な和名を付けていくことになるだろう.しかし,背景をよく知らないまま,単に和名がないから名付けるということは避けるべきである.特に上述の「3」で述べた実体が不明な分類群に対して,和名を与えてしまうと実体がはっきりしているかのような「種」が一人歩きしてしまうので,分類学的研究が進むまでは和名の命名は控えた方が良い.
 一方,すでに公的に命名されている和名を変更するようなことは,よほど慎重に行うべきだと考える.一般的に,蔑称を意味する和名は変更を検討する必要があると思うが,それ以外の和名で数十年~100年ほど使用されてきた古くからの「文化」をわざわざ些細な理由で変更することは好ましくないように思う(なお,属名の学名をカタカナ読みしているものは和名には含めない).また,属ごとにまとまった和名を付けようという試みは,分類体系が研究途上である地衣類には現段階では馴染まない.同属とされていたものが多系統であることが分かったり,属が細分化されたり,統合されたりすることが現在進行形で行われているからである.属が変わる度に和名を変えるような命名は混乱を招くだけであり避けるべきである.

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©地衣類研究会 Lichenological Society of Japan