環境指標としての地衣類 中川吉弘 [ライケン10(2): 17-20, 1996]

 地衣類は共生体であるため,菌類または藻類がそれぞれ単独では生活できないような厳 しい環境下でも生育できる特徴を有する.一方,独特の微妙なバランスの上に成り立った生理機構により,わずかな環境要因の変化がこれら地衣類の生育に複合 的な影響を与える(吉村1974).水分,養分の吸収や光合成・呼吸のためのガス交換を行う特定の組織を持たず,気体汚染物質の吸着量が多いばかりでな く,雨水に溶け込むことによって濃縮された水溶性汚染物質を細胞内に直接吸収する.このことから種々の汚染物質による生理生化学的変化の指標としての酵素 反応,光合成,呼吸などの種々の体内代謝,クロロフィル含量等についての野外および実験室的検討結果が数多く報告され,鋭敏な汚染指標生物としての評価も 固まっている(Ahmadjian & Hale 1973, Brown et al. 1976, Pucket 1976, Lechowicz 1982, Case 1984, Gilbert 1986).
地衣類が市街化した地域から消滅していく現象については,Nylander (1866)により最初に報告された.その後も二,三の植物学者によって同様のことが報告されているが,大気汚染との関連において,都市の地衣類が本格的 に研究されたのは1950年代以降とされる.これらの研究は主としてヨーロッパ,カナダの都市で調査された.この地衣類の衰退現象に対しては,都市の乾燥 化と大気汚染の両方が原因とする説があったが,最近では大部分の研究者により,大気汚染がその主原因と考えられている(黒川1975).
都市における地衣類植生調査は,SO
2の分布との関連において,地衣植生を地衣砂漠(lichen desert),移行地帯(transitional zone),無影響地帯(normal zone)に分けたものがほとんどである(Schmid 1957, Rao & LeBlanc 1967, Hawksworth & Rose 1970, Pyatt 1970).
これら地衣類の分布や植生から大気汚染の程度をとらえようとする努力とともに,一方で,大気汚染の程度を指数として表すことも試みられ た.Liebendorferら(1988)は10区画に分割した格子を設置し,各区分に生育する地衣類の状況を地衣類の現れた区画数,被度,生育状況, ネクロシスやクロロシスの程度の4つのパラメータから大気浄化指数を算出,大気汚染地図を作成している.DeSloover & LeBlanc (1968),LeBlanc & DeSloover (1970)は着生生物として蘚苔類と地衣類の両類を調査対象とし,それらの生育分布をもとに,次式により大気清浄度指数値(IAP)を算出し,大気汚染 地図として表すIAP法を提唱している.

すなわち,地点ごとの出現全種(n)について,種ごとに生態指数(Q:持定の種と共存する地衣類の種類数の全調査地点を通じた平均値)と被度(f:0~3の4段階)とを掛け合わせたものを加算した総和で表す方法である.わが国におけるこの種の調査は,Sugiyama (1973)が,静岡においてウメノキゴケ(Parmotrema tinctorum)を指標種とする分布と大気中のSO
2が 強い関連性を示すことを指摘した.Kurokawa (1973)は,東京,静岡,富士における同様の調査から,ウメノキゴケの生育できる範囲はSO2濃度0.02ppm以下の地域と概ね一致するとして杉山 の考えを支持した.さらに,出現する地衣類の種数を,5種以内,10種以内,15種以内に区分けし,それぞれの出現地域でのSO2濃 度が0.05ppm以上,0.02ppm以上,0.01ppm以上の地域にほぼ一致するとした.また,Kurokawa (1974)は,墓石上に生育するウメノキゴケの表面積を測定し,墓地ごとにその表面積の総和を求め,これを墓石総数で割った値をその墓地の大気清浄度 (AP)と見なすことを提案している.梅津(1978)は,DeSlooverらのIAP法について生態指数の問題点を指摘し,生態指数に代わるものとし て,汚染の程度によって種が量的,質的に変化することをもとに,種ごとに大気清浄度係数を決めることで大気清浄度指数を求めている.中西(1979, 1982)は,着生蘚苔・地衣類の植生を4つの群落(セイナンナガハシゴケ群落,コゴメゴケ群落,ウメノキゴケ群落,キウメノキゴケ群落)に区分し,それ ぞれの群落の分布がSO2汚染と対応関係にあることを示した.
著者ら(中川ら1990,1991)も生態指数の問題点を指摘するとともに,DeSlooverらのIAP法の改良を試みた.先ず,彼らのIAP法で は,蘚苔類と地衣類が調査対象として同一に扱われているが,両者が系統的に類縁関係を持たないことから地衣類のみを調査対象としたことである.また,彼ら の方法では,IAP値算出に用いた生態指数が調査地域の取り方により変動するために,他地域との比較がしにくいといった問題点があった.著者らは,特定の 種の大気汚染に対する反応は変わらないと考えるのが妥当であると考え,生態指数に変わるものとして種ごとに評価点を設定することで従来のIAP値の算出法 を改良した.種ごとの評価点の設定にあたっては,植生研究諸法(伊藤1977)のなかでも環境の傾度(例えば標高,乾湿,気温,雨量等)の幅が比較的狭い 植生からランダムに試料がとられているときに有効とされる反復平均法を適用した.すなわち,この方法の序列化操作により得られる種位置指数を基本に,その 種の出現頻度,SO
2との関連でみた生育限界濃度(Gilbert1973, Sugiyama et al. 1976),これら地衣類の種による汚染貿に対する感受性差について,共生関係にある藻類との関連で試験した報告(Marti 1983)等の結果を総合的に判断して,評価点の設定に客観性を持たせた.

図1は,IAP等値線図として示したものである(瀬戸内海側と地衣類の種の分布に大 きな差異が見られる日本海側を除いている).図1からも明らかなように,IAP値0の着生砂漠帯とIAP値1~5,5~10,10~20,20以上の5つ のゾーンに区分して示すことができた.
一方,着生地衣類の出現種数の分布について見てもこのIAP等値線図と非常によく一致した分布型をもつことがわかった.これは両者の相関係数が 0.947と高いことからも明らかであり,着生地衣類の種数を指数としてその分布を見ることで大気環境をかなりの程度に把握し得ることが示唆される.これ らの結果はまた,臨海部の工業地帯からの汚染物質が地形に沿った形で内陸部に移流されていることをも示唆するものであり,改良したIAP法が生物(植物) の側からみた複合的影響を反映した大気環境評価法であることを示すものである.
このことは,複合大気汚染指数値(浮遊粒子状物質,SO
2,NO2,Oxの4大気汚染物質を複合させて求められる指数)とよく対応することからもその有用性が裏付けられた(岡崎1987).
IAP値と出現種との関係は,IAP値0.5~3.0の地域において出現する市街地型の耐汚染性種(レプラゴケ Lepraria sp., コフキヂリナリア Dirinaria applanata),郊外地帯から農村地帯にかけて出現するとされるウメノキゴケもまたこの地域の比較的汚染が軽度の地域において出現してくる.IAP値4~6の地域では,都市環境に敏感に反応し,退行するキウメノキゴケ,マツゲゴケ(Rimelia clavulifera),ヒカゲウチキウメノキゴケ(Myelochroa leucotyliza),トゲハクテンゴケ(Punctelia rudecta)といった広義ウメノキゴケ属の種が上記の3種に加わってくる.IAP値が7~13の地域になると,その出現種も都市化に伴う環境変化の少ない田園地域に限られる種であるゲジゲジゴケ属(Anaptychia),サルオガセ属(Usnea)といった種が新たに出現してくる.さらに,IAP値14以上の地域ではイワノリ属(Collema),カラタチゴケ属(Ramalina),トコブシゴケ属(Cetrelia)といった山地性の種が出現してくることがわかった.これらIAP値と出現種との関係は,先に述べた種ごとに与えた評価点のランク分けともよく対応するものである.
なお,ウメノキゴケ及びキウメノキゴケについては分布境界線がIAP値でそれぞれ2,5のラインに相当することから,これら2種を指標種としてその分布をみることによってもおおまかに地域の汚染程度を把握することが可能なこともわかった.
潮戸内海沿岸部にみられた着生砂漠帯は,1972年,1973年当時のSO
2の年平均値20ppb以上の地域に相当するものであるが,このSO2濃度のみについていえば,その汚染レベルは現今では当時の約1/2から1/3に低下してきている.

表1は兵庫県下を7つの行政区域別に,同一調査地点・調査樹木について5種の着生地衣種についての被度を10年前の調査時のそれと比較し,その変化をみ たものである(中川ら1995).その結果,阪神地域と神戸地域における被度比はそれぞれ1.09,1.04の値が得られたことから,同地域の着生地衣植 物の盛衰からみた大気環境は,横ばいながらもやや回復傾向を伺わせる状況にあると判断された.しかし,東播磨,西播磨,丹波,淡路,但馬の各地域について の被度比からみた大気環境は,やや悪化傾向にあることが示唆された.

 また,被度の変化からみた種ごとの盛衰は,キウメノキゴケ,ウメノキゴケの被度比がそれぞれ0.88,0.78の値が示すように,これらの種の衰退が目立った.コフキヂリナリア,マツゲゴケ,レプラゴケの3種についてはほとんど変化がみられなかった.
同様の調査は,西独ルール中部地方(Rabe & Wiegel 1985)およびライン川の支流域(Kirschbaum & Steubing 1987)において実施されている.Rabeらは着生地衣類の蘇生状況の変化から,約20年前と比べて大気汚染が改善されたとし,Kirschbaumら は耐酸性種の分布が広がる一方で,汚染に対し感受性を持つ種は減少あるいは死滅したことが明らかになったとしている.
今後
の問題点として生物指標全般に関していえることは,少しでも客観的で科学的な評価をなすために,環境要因と生物挙動の解析,生物相互間の関連等についての情報の集積と整理が必要であり,サンプリングや評価法等,手法の統一化が図られねばならない.

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